試練の山

 

セシルが見上げていた空は、どこまでも青く。

そしてどこまでも高かった。

天空にたなびく雲は、まっ白い綿雲。

いくつもいくつも並んで、ゆったりと風に流れて地平に向かう。

その何者にもとらわれない姿が、

セシルには時にまぶしく感じられる。

国家に縛られ、時には意に沿わない任務を言い渡される事すらある。

もっとも今では、意に沿わない仕事であっても言い渡す方になってしまった。

ため息をそっとついてから、ふと空から目をそらしたその先。

ただ黙々と槍の修行を続ける、幼馴染の姿があった。

「カイン、まだそうしているのか?」

「ああ……もう少し。」

一時手を休めて、頬を伝う汗をぬぐう。

こうやって修行を始めてから、もう何時間経っただろう。

ろくに休憩も取らずに、ただひたすらカインは槍を振るっていた。

「さっきからそればっかりじゃないか。

君の目標は分かるけど……焦っても仕方ないよ。」

「……分かっている。だから、もう少しだけだ。

もうじき日が傾いてくるから、そうなったら家に帰る。」

「そっか……わかった。

今度はちゃんと切り上げてくれよ。」

半分信じていないような様子で声をかけてから、

セシルはくるりとカインの方に背を向けた。

再びセシルは空を眺め、カインはまだ修行を続けていた。

 

―洞穴―

試練の山の中腹。ちょうど、正面の登山道とは反対側。

そこに、カインの住んでいる洞穴はある。

小屋くらい建てろと、

以前ローザと2人で指摘したら、「洞穴で十分」という返事が返ってきた。

決して住み心地がいいとはいえなさそうだが、

それでもカインはそれなりに気に入っているようだ。

修行の一環なのか、単に住居に頓着しないのか。

恐らく後者だろうと、セシルは推測している。

テントでの野宿が続くと、エッジやパロムなどは文句たらたらだが、

いつもカインは涼しい顔で文句一つ言わない。

それどころか、文句を言うエッジをどついていたものだ。

「相変わらず物がないね、君の家。」

「まぁ、物がなくても意外と暮らせるからな。」

そう言いながら、水がめから水を汲んでセシルに渡す。

この山の水は名水というわけではないが、

水をしばらく口にしていなかった身にはおいしく感じられた。

「いつもそればっかりだね……ホントに。」

「悪かったな。」

「もう少し人間らしい生活しなさい。って、ローザが言ってたよ。

せめてもう1,2個くらい、木箱でいいから家具を増やせば?」

「ローザが言ってたのか……。

今度あいつが来るときまでには増やしておかないとな。」

そうしないと、セシルの倍以上の小言が待っている。

女性というものは、

何故ああもたくさんの言葉を次々思いつくのだろう。

小言にしても、他愛のない話でもそうだ。

「ぜひともそうしてくれよ。

カインが人間らしい生活をしてくれれば、僕も心配しなくてすむからね。」

「おい、俺はいつ野生に帰ったんだ……?」

さりげなく動物扱いされた気がしたカインは、

少々情けない気持ちになる。

 

そうやって、お互いの近況や他愛のない事を話してどれくらい経っただろうか。

気がつけばもう、すっかり夜になっていた。

「帰るのか?」

「うん。まだバロンも落ち着かないからね……。

次はいつこれるか、ちょっと分からない。」

そういえば、つい先日王位を継いだばかりのこの青年は、

先の戦いのために、財政や人材が不足したバロンを立て直すという責務がある。

帝王学もろくに知らない彼には重荷であるはずだが、

親友であるカインの前でも、愚痴をろくにこぼさない。

だが、それが逆に気がかりだとカインは思う。

「そうか。魔物じゃなくて、足元に気をつけて帰れ。」

「どういう意味だい……それ。

それじゃあ、また今度。」

カインの皮肉まじりの言葉に眉をしかめつつ、

軽く手を振って山を降りていった。

「ああ、じゃあな。」

返事を返してから、見えなくなるまでセシルの背を見送る。

その背に、途方もなく重い責任を背負っているように見えたのは、

果たしてカインの気のせいなのか。

無理だけはするなと、音にならない声で案じる。

「試練の山にいるんだな……俺も、お前も。」

片方は、父を超えるために自ら望んで山に篭り。

もう片方は、バロンという一国の命運を背負って政務を執る。

考えてみれば、試練はどこにでも待ち構えているのかもしれない。

わざわざ人里から離れて、こんな険しい山に篭らなくても。

「うまくいってくれればいいんだがな。」

何しろ官僚や貴族というものは頭が固い。

どこの馬の骨とも知れない前王の拾い子が王になったことで、

ずいぶん面白くない思いをしているものも多いだろう。

邪魔をするようなよからぬ輩も居るだろう。

「どいつもこいつも……腐ってるな。」

愚痴をこぼさなくても、セシルがいかに苦労しているかは大体わかる。